濱口優太の夢物語
初めまして。ペイントワン代表の濱口優太です。
私は長年、外壁塗装・防水工事に携わり、職人仲間や地域の皆さまと共に歩んできました。
このページでは、私のこれまでの歩みや想いを正直に綴ります。恥ずかしい思いや失敗もたくさんありましたが、それらも含め、少しでも私やペイントワンのことを知っていただけたらと思いお話しします。 少し長くなりますが、是非お付き合いください。

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CHAPTER01
幼少期と初めての挫折
私は幼少期、野球に明け暮れていました。 スパルタ教育の少年野球チームで、2年生の頃からほとんど休みなく、毎日朝練・夕練、週末は試合と、ほぼ野球漬けの日々でした。
そんな中、小学6年生でピッチャーを任されていましたが、投げすぎが原因で肘を壊してしまい、 医師から「中学では野球を続けるのは厳しいかもしれない」と言われました。 悔しさとショックを受けましたが、今考えると、それが初めての挫折だったのかもしれません。
家庭は、父が地元の有名な飲食店で料理人、母もその店を手伝い、9歳年下の弟がいる温かい環境でした。 しかし、中学時代の私は、真面目とは言い難い生徒で、親には多くの迷惑と心配をかけました。一応高校には進学しましたが、半年で中退。 世間一般で言う「ろくでもない若者」でした。
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CHAPTER02
建設業界との出会いと「塗る仕事」
高校を中退後、建設関係の仕事を始めました。
最初に就いたのは塗装業ではなく、鉄骨の骨組みを組み立てる鳶職でした。
高所での危険な作業が日常でしたが、そこで「塗る仕事」と出会いました。鳶職の仕事の一環で、ボルトの結合部分に錆止めを塗る作業がありました。 この作業が得意だった私は、親方に認められ、初めての昇給というものを経験し「頑張った分だけ認めてもらえる」職人の楽しさを知りました。それとこの頃から「塗るのが得意」という自覚がありました。
しかし、2年ほど続けた後、利き手の小指、薬指の2本を1トン程の角パイプで挟んでしまい粉砕骨折する大怪我をしてしまい鳶職を辞めることに。
その後、大阪へ移住し、電気工事や水道工事、営業職など様々な仕事を経験しました。当時は職を転々としていましたし、「特にこれがやりたいこと!!」というものがなかったのですが、ある日、当時に初めて塗装職人となるキッカケになった塗装会社の親方と出会い、「塗装」という仕事にのめり込むことになります。
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CHAPTER03
塗装業との出会いと尊敬する親方
塗装の仕事に出会ったのは偶然でしたが、「塗るのが得意」という思いからすぐに夢中になりました。 まぁでも、最初の1年くらいは親方に怒られっぱなしで、滅茶苦茶怖かったのを今でも覚えています。
ただそれを上回る親方の仕事ぶりや生き方に憧れ、初めて「この人みたいになりたい!」と思いました。この時から、いつか自分も「カッコいい親方」になりたいという夢を持つようになりました。
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CHAPTER04
地域一番店での経験と独立の決意
大阪で技術を磨いた後、結婚を機に三重へ戻りました。 伊勢市の地域で当時一番店と言われていた塗装会社に、大阪での経験を認めてもらい職長として就職し、さらに経験を積みました。
しかし、その会社は「営業会社」寄りで、営業マンが多く在籍する会社でした。「営業会社」というとわかりにくい方も多いと思いますが、簡単にいうと「技術」より「営業」が得意な会社、ということです。
ですから、職人よりも塗装経験のない営業マンが高いお給料をもらい、時には「ここ、金額が安いので上手いこと金額内に収めてほしい」と指示されることもありました。いわゆる「手を抜いてそれなりの見た目にしてくれたら良いよ」ということです。
ここでの「正義」はお家を綺麗に塗ることではなく、少しでも多くの工事を取ってきて、何とか利益を残す。だったのです…。職人としての誇りを持っている人だと痛いほどわかると思いますが、それは凄い苦痛なことでプライドも傷つきました。
このときから、
「自分の理想とする塗装工事を提供したい」
「営業会社のような手抜き工事はしたくない」
「塗装業界の闇を少しでも変えたい」
こうした想いから、独立を決意しました。 -
CHAPTER05
ペイントワンの誕生
こうして「ペイントワン」を設立。 「塗装でNo.1になる」という強い思いからこの屋号を付けました。
独立してみると、今まで気づかなかったことがたくさんありました。中でも最も実感したのは、「仕事をいただけることのありがたさ」 です。会社勤めの頃は、用意された仕事をこなすのが当たり前でした。しかし、独立すると、自分で仕事を取り、自分で施工するという環境に変わり、その大変さを痛感しました。
そんな中でも嬉しかったことの方が大きかったです。
それは「お客様にとって最適な塗装が提案・提供できること」 でした。人は誰かに何かをしてもらうのも嬉しいですが、自分の技術や知識、経験で誰かを喜ばせることができるというのは、また違った幸福感がありました。
しかし、独立当初はとにかく忙しく、朝から夕方までは現場作業、夜は見積もり作成やホームページの更新、自転車でチラシ配りなど、休む暇なくという感じでした。
やりがいが凄くあり楽しくて全く苦ではなかったのですが、家事や育児、家族サービスの時間も取れず、妻には大きな負担をかけてしまったと思います。 それでも、文句も言わず、信じて支えてくれたことに心から感謝しています。
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CHAPTER06
お客様とのつながりが仕事のやりがい
ペイントワンは戸建て住宅やアパート専門の塗装会社です。そのため、たくさんの方々とのご縁を永くいただいております。
塗装工事自体は1か月ほどで完了しますが、アフターサービスや定期メンテナンスを通じて、 長くお付き合いさせていただくことが多く、まさに「生涯のお付き合い」 になることもあります。
お客様との会話の中で、「もうあれから3年も経ちましたね!」とお互いに振り返る時間が楽しく、塗装の仕事がさらに好きになりましたね。塗装そのものも、もちろん大好きですが、自社の職人仲間や、お客様との関わりが、やりがいの大きな部分を占めています。
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CHAPTER07
職人としての誇りと信念
社員にも常々伝えていることがあります。
それは、「かっこいいか、かっこよくないかで、常に判断してください。」 です。
私たち塗装職人の使命は「プライドを持ってお家を綺麗に塗ること」です。
もちろん、こちらを遂行したという場合は「かっこいい」ということです。
しかし塗装業界には、適正価格で適正な施工が行われていないケースが少なくありません。塗装営業会社や全国フランチャイズの増加により、 「激安の施工費による手抜き工事」や「おかしな価格設定」が問題視されることもあります。こちらは「かっこよくない」に分類されるものだと思います。
ですからペイントワンでは、完全自社施工にこだわり、 適正価格で「完璧な施工」を提供することを徹底しています。
塗装工事で最も大切なのは「感謝の気持ち」です。
「何を塗るのか」ではなく「誰に塗装してもらうか」なのです。塗装させてもらえることを当たり前だと考えず、塗装させてもらえることの「感謝の気持ち」これがあるだけで同じ塗装工事でも全く別物の工事になるんですよね。
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CHAPTER08
ペイントワンのこれから
塗装工事は決して安い買い物ではなく、簡単にやり直せるものでもありません。
だからこそ、私たちはただ、お家を美しくするだけでなく、長く安心して住み続けられる住まいを守り続けて、塗装工事を通じて、お客様に幸せを届けることを大切にしています。
私たちの目標は、伊勢市・松阪市・鳥羽市で「塗装工事ならペイントワンに任せておけば安心」と言われる存在になることです。小さな一歩の積み重ねですが、これからも前進し続け、日々笑顔で最高の塗装を提供していきます。
長らく暑苦しいお話ではありましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ペイントワン代表 濱口 優太